11月ダブル投稿二つ目は塾長の玉城美香子先生の力作です!
【跡取りムスメのホンネ】
これまで きっと
どなたにも語ることがなかったことであり
これから先も
このような話が一般に語られることはほぼないであろう
時期尚早であり
ちょっと幼稚な
でも どなたかおひとりでも頷いて頂けたら
嬉しいなと
そんな願いを込めて
コラムに登場させて頂きます。
伺いますと 佐々木先生のご高配により 父の記事と同時に公開頂けるということで こんな光栄なことはない! と思いますとともに ちょっと子バカ(親バカの対義語として)を申しますと 専門的で かつ ちょっと高等な文章を書いていそうな父だと思いますので コントラストで わたしの方は ありのままにくだけさせて頂くことも 合わせて 先にお許し願います。
それは1985年
春のある日を境に わたしは
空手を始めることになります。
当時 4歳
いつの間にか道場に立って
その場突きをしていた記憶しか
いまはもうなくて
その日以来
ずっとずっと
空手の生活を続けていることになります。
もう 40年 ですね。笑
当たり前のように それは 趣味や特技とも違う 日常のこととして 週2回の稽古はずっと 継続してきました。
2009年29歳の宗家カップ熊本開催の際に
カナダのクリス種田先生が
わたしにこう尋ねてくださったことがあります。
「みかこ、あなたにとって空手とはなんですか?」
初めての質問
そして 考えたこともなかった!!
出てきた答えは
『ライフワーク』
これだけ。
その後の
この今まで 何度となく
思い返してきた種田先生からの質問です。
やっぱり わたしの答えはこれしかなかったなぁと
振り返ります。
気付きを頂く
素敵な質問を投げかけてくださいました。

そうやって
ライフワーク、生活の1部として
続けてきた空手道。
わたしの中では当たり前すぎて
全てがそれまでと同じように
上手くいくし
いつか 困難がくるとは
社会人になっても ずっと
思っていませんでした。
それでも
そんなわたしに指導者としての
大きな悩みは
やってきます。
これまで大きく3回
やってきた 大波です。
アップ アップと
ひとり黙って浮き沈みしていたことを
初めて口にすることにします。
1度目は20代半ばのことです。
その頃、道場生は自宅道場にも入り切れないほどの人数で
時間帯や曜日で分割したり
近くの公共体育館もお借りして
稽古をしていました。
もちろん、父が塾長として
バリバリ指導していた頃で
わたしはその手伝いとして
27歳頃から毎回稽古に出るように
なりました。
ある時
自分が思っているように
中学生がわたしについてきてくれていない気がして
信頼関係が築けているのかわからず不安になり始めました。
父のように
厳しくも 優しく。
ユーモアを持って。
滲み出る威厳については
わたしは
『厳しさ』というより
口うるささ や
強く言いつける という形を取って
真似事をしようとしていたのかもしれません。
随分 悩みました。
もっと厳しくしてみました。
上手くいくわけがありません。。。
どうすればわたしらしく
そして 子どもたちと同じ方向を向けるのか?
わたしらしくって 何?
。。。。
年も若ければ
そう簡単にも行かないのかもしれません。
経験も浅い。
ただ ここで
それを言い訳にしたくなくて
問い続けて問い続けて気づいたのは
『わたしと父は 別の人格である』
ということでした。
そんな当然のことなんですが
ずっと見ている後ろ姿は
そんなことすらわからないぐらいに
影響が大きかったわけです。
わたしは 父になり得ないし
やり方は同じにできるはずがない!
生きてきた経験も全てに違う。
この時 何かが弾けたように
思考の方向は変わりました。
保育士をしていたり
子どもが大好きなわたしは
自分なりの自然なスタイルを
取るようになっていきました。
向き合うきっかけは以降も
時々あるにせよ
いまもその基本は持ち続け
自立思考で楽しむ生徒さんたちの
コツコツとやり続けて
結果も得たり チャレンジできてきている姿や
仲間同士でお互いに受け入れあうところを見て
尊敬し 誇りに思っています。
そうこうしながら、、
月日は過ぎ。
2回目の大きな壁は
産後にやってきました。
これは わたしの個人的な
悩みの段階だったと思います。
我が子どもを守り この子が充実した心で過ごせることを第1にした
必死な暮らし。
思い通りにならない
自分の体。
心の状態が保てず
いろんなものを手放したり
向き合ったり
全てにおいて自分でもどうしたらいいかわからない時期がきました。
この時 大変お世話になった先生方もおられます。 1つ1つ 誠実に向き合ってくれた 父と先生方、そして 稽古に来続けてくださった生徒さんたち、保護者の皆様のお陰様で 乗り越えることができました。
そして。 3回目。 実は 最近なんです。
この数年で2回もきてるって 大変ですよねー!笑笑
お陰様で話せるようになっていることもありがたいです。
話を戻しますと。
稽古の現場を離れて数年経ち
正式な父の塾長引退からわたしが引き継いだのは
2023年
それからです。
だんだんと。。
月日が経つにつれて
当たり前が 当たり前ではなかったことに
深く 気がつき始めました。
わたしが子どもの頃
総合優勝
連続8回をほこり
ほとんど全ての形クラスで
軒並み優勝する道場生たち
子どもたちで溢れかえる道場
わたしが高校、大学空手、 その間に通わせて頂いた他流派の先生の稽古に明け暮れていた間も その連覇は続いていました。
発行される手紙の数々 保護者さんたちとのやり取り 生徒さんたちの上達ぶり その全てが 父の強く深い子どもたちへの愛情と 千唐流を愛し感謝している想い、 計画 実行し カタチになっていたことで そこに人望として 1人 また1人と集まり 大きなうなりになっていたことを つくづくと感じ始めました。
コロナを経て
ちょうどわたしの産後は
いろんな理由で生徒さんが少しずつ
辞めていかれました。
関係性は良好なままとはいえ
現実的に
ガランとしてしまった道場を感じると
自分の力を思い知り
情けなくもどうしようもない想いにかられる日々が続きました。
でも。
やっぱり。
それでも
休まず通い続ける子ども達
送迎くださる保護者さんが
おられるわけです。
わたしが塾長を継いだ当初
2代目宗家先生が声を掛けてくださいました。
『美香子ちゃん、わたしも経験しているから よくわかる。
跡を取った時の気持ちが。』と。。
わたしにとって
先代は父。その先代との比較をされることの辛さを
慮ってくださる
深い想いを受け止めさせて頂きました。
それから2年。
その時にはまだピンときていなかったこと
20代では当たり前だったはずが
当たり前ではなかった現実は
どんどん 大きな自分事となって
課題のあぶり出しになってきたのです。
誰かから評価を受けた言葉を
もらうわけでもないのに
自分でする比較に
陥ることもありました。
それでも
かわいい子どもたちが
充実した稽古ができて
自分たちらしくあれる環境で
あり続けたい
人数は少なくても
1人1人 かけがえの無い存在。
もっと生徒さんを増やして活気を増させてあげたい!!
いろんな想いをめぐらせ続けました。
そうして
行き着いた答え。
これまでも 色んな事柄に対して
わたしなりの概念をもって
信じてやり続けてきました。
今回はプライドを捨てられたことで
どこか
自分の負けを認め
全てを受け入れて
いまの自分を受け入れて
いまの瞬間を子どもたちと
さらに楽しく噛み締めようと
大事に思うようになったのです。
まして
5歳の我が子のことも
満たしながらの稽古。
子どもたちも息子のことも
よく見てくださいます。
そして
わたしがとても嬉しいのは
1人1人の体や心と向き合って
対話が出来るすことです。
女の子には女の子の過ごし方がある。
学校だって疲れちゃう時もある。
体と心との付き合い方もあるし
だけど やる時はやる!!
そんなメリハリも
日々のリアルの中で経験しながら過ごせているいまの人数と環境が
実は ピッタリなんだと
腑に落ちた瞬間でした。
言い訳かもしれませんね。笑
でも
少しずつわたしが成熟していった時に
生徒さんが増えるかもしれないし
また何か新たなことが生まれるかもしれない!
その時々を大切に噛み締めて過ごす
一瞬一瞬が
子どもたちが大人になって過ごすその時に
自身の役割や
やりたいことを自分で知って
自分の花を咲かせるための力を
根っこから育てているでしょう。
空手道場という場を通して
心と社会の平和を実現し続けていきたいと思っています。
もうね、
子どもたちが殻を破っていく姿や
表情が変わる瞬間が
たまらなく愛おしいんです!
わたしも、たくさん千唐流で、
いろんな場所で育てて頂いてきました。
いまも 仕事関係や別業界で
師匠に育てて頂き
一緒になって喜んだり
壁を乗り越える勇気を頂いたりしています。
だからこそ その経験と感謝を
子どもたちにも還元したいと
欲求のように湧いてくるのです。
2代目宗家先生のお言葉や
その佇まい
同じ年齢のはずの
3代目宗家先生が
益々増される
ご貫禄から
いち町道場の跡取りムスメとは
比較にならない
並ならないご経緯をお持ちであられると
ほんの少しだけ
想像させて頂くと
わたしも
がんばろう 乗り切ろう
と
思えたりもするわけです。
ゼロから道場を作る必要のなかったわたしは 本当にラッキーかもしれません。 それと同時に 10代のいつ頃からか 独りでに勝手に抱え始めていた 跡取りとしてのプレッシャー これを体験できたことや そこから気付きと学びを頂き いまがあることが 本当に心から 幸せなことだとも感じています。
きっと。
どの先生方も大人だから
引き継いだ時のことは
あまりおっしゃられていないのかなと思います。
表では決して見せられない
立場をわきまえた
親子の姿も
いまでは時代の移り変わりで
薄くなり必要とされなくなった
封建的な風潮でもあると思います。
わたしも、他ではけっして
推奨しませんが
千唐流に息づくそれは
空手の原型を留める唯一の生きた化石のようで
きっと
琉球の歴史
日本の歴史
世界の歴史に
いつか何かでさらに必要とされていく存在として意味があるのではないかと感じています。
1人ひとりに息づくDNAやご先祖さまの意志を大切にしながら 次の未来を生きる子どもたちの力を心から信じて これからも稽古に励んで参ります。
きっと 追いつけない父の背中。
だけど 自分の花を咲かせよう。
そんなわたしの体現が
子どもたちやどなたかの勇気に
なりますように。
願いを込めて。
最後になりましたが コラムにご採用頂いたこと 心から感謝いたします。
また まだまだ会への貢献がままなりませんがいつも寛大に見守りくださる先生方にも この場をお借りしまして 心から感謝申し上げます。 ありがとうございます。
身内のことになりますが ずっと どんなことがあっても 支え続けてくれる 両親 わたしに空手の道を導き続け 千唐流の思いを語り続けてくれたお父さん いまではマリア様のような愛で包み込んでくれるお母さん 破天荒な妹を受け入れてくれる兄たち かわいい息子 愛季 たくさんの愛をありがとうございます。
これまで長きに渡り 父共々 琉武塾を大切にしてくださる全ての皆様に 感謝申し上げます。
最後までお読みくださり ありがとうございました!!
琉武塾長 玉城美香子









