9月になり、まだまだ残暑が残りますが、確実に秋の気配が近づいて来ていますね。今月の投稿は、現在熊本県の天草郡嶺北町・都呂々小学校に教頭先生として勤務されている、拳友会天草支部長の角本師範が登場です。
 同師範はカクモトコンピュータと言われる頭脳で会の運営にも貢献されており、今月9月22〜23阿蘇サマーキャンプの担当事務局も務められています!

 諸先輩方を差し置き、恐縮です。また、これまで原稿を担当された先生方と並んで掲載されるのは、正直恥ずかしいです。何のパンチもなく、初老のおじさんの戯言のように思われそうですが、この機会を頂いたことで、自分と千唐会の関係について自分なりに整理できました。
 様々な方の支えのおかげで今日を迎えていることを再確認し、今後、千唐会の発展により貢献したいという気持ちが強くなりました。
 また、千唐会に興味のある方もすでに活躍している方も、千唐会が「あらゆる年代の空手のニーズに対応できる」という強みや、「3年に一度国際大会に参加できる国際感覚豊か」という良さをいかし、「努力を楽しみ 向上を喜ぶ」空手ライフを共に送りましょう。

 拳友会天草師範の角本昌紀です。熊本県の天草に住んでいます。若輩者の私が、自分と千唐流空手道について語るのは大変恐縮ですが、依頼を受けましたので紹介いたします。千唐流空手道の魅力の一部を紹介できると思いますので、最後までお付き合いください。
 千唐流空手道との出会いは2回あります。2回目の出会いが今も続いていることになります。

 【千唐流の凄さを感じた1回目の出会い】
 1回目は、私の高校時代(1986~88年)です。中学校の先輩から高校の空手部への入部を勧められ、稽古を始めました。すると、そこに千唐流の不知火道場で稽古をしていた村上くんがいました。
 村上くんは、手技も足技も大変速く多彩でした。団体組手の試合でも彼は常に勝ち続け、チームにとって頼もしい存在でした。その時私は、「千唐流は凄いなあ」と思いました。高校の3年間、彼からたくさん突かれ蹴られましたが、そのおかげで、高校総体や火の国旗等において団体組手の先鋒を任されるようになりました。空手独特の試合前の緊張感やスリル、チームワーク、勝利した時の万能感、達成感等を体感できた3年間でした。
 
【千唐流に求めたもの、千唐流から得たもの】
 2回目は、教職17年目の2010年です。宮﨑不二男教士が校長として、天草の学校に赴任されました。高校時代に段位取得をしていなかったことを悔やんでいましたので、多忙な中でしたが宮﨑教士に指導をお願いしました。
 しかし、宮﨑教士は、「自分(宮﨑教士)は残り2年間しか天草に赴任できない。道場を開設して2年間でいなくなるのは無責任と思うので、引き受けられません」と断られてしまいました。しばらくして再度お願いすると、「でも、あなた(角本)がその後、道場生に対して指導を継続するのであれば始めてもいい」と条件付きで、拳友会天草道場の開設と指導を認めてくださいました。

 宮﨑教士との出会いでは、私は千唐流の段位を求めていました。けれども、道場生の指導を引き続き行うことを求められることとなりました。
 それから私は、宮﨑教士の道場訓や先生との約束(どんなに多忙でも稽古を欠席・遅刻しないこと)を守り、自分で決めためあて(基本を毎日行う、出場できる大会は全て出る)を実践しました。
 宮﨑教士の指導と拳友会道場生一期生のみんなのおかげで、体力と自信がついていきました。体脂肪がみるみる落ちて、ストレスに強く疲れにくい体になるのが自覚でき、体組成計に乗ることや人間ドックが楽しみになりました。
 また、大会成績も少しずつ向上し、2年後には県大会マスターズ形の部で優勝、組手の部準優勝を達成しました。そして、この大会では、麻生田道場でいつも一緒に稽古していた橋本さんも、一般の部形の部優勝、組手の部準優勝を達成され、忘れられない日となりました。

 そして、平成27年8月全国大会では、マスターズB形の部で優勝をいたしました。日本代表として平成28年宗家カップに参加できるようになりました。この結果には職場の同僚にもびっくりされ、すごく自信になりました。(宗家カップは、平成28年4月に熊本地震が発生したため、一年延期されてしまいました。そのため、思うような稽古もできずセミファイナル止まりでした。)

 最大のピンチは、組手の稽古中に右足の指を骨折してしまったことです。1ヶ月半ほど稽古がストップしただけでなく、仕事にも影響が出てしまいました。その間は学校の隣に泊めてもらい、給食以外の食事は宮﨑教士の手料理をいただいたことで仕事を継続することができました。
 宮﨑教士には、公私ともに本当にお世話になりました。
 

(右 宮﨑不二男教士)

 様々な経験の中で千唐流空手道から得たものは、空手のみならず仕事にも良い影響がありました。大人数の前でのプレゼンや大事な面接においても自信を持って臨めるようになりました。
 また、体力がつき、疲れにくい体になったことで、同じ時間でも多くの仕事を処理できるようになりました。
 他にも、国際大会に選手として、運営者として、コート長として3回関わったことで、英語教育の大切さを感じたり日本と海外の国々の考え方の違い等国際的な感覚が身についたりしています。実際に、海外の小学校との交流のアイデアも職場で提案し、実現させました。


(アメリカ・ウチヤマ先生、カナダ・ミルトン先生と)

 【千唐流で自分を高め、仲間とまた高め合う】
 大会ではコートに一人で立ち、複数の審判やたくさんの応援者の前で大きな声を出して形名を言い、堂々と演舞しなければなりません。また、組手試合でも相手と向き合い、だれも助けてくれない状況で自分の手技や足技を駆使して戦います。経験を積み重ねる中で成績が少しずつ向上し、日々の自分の練習やそれを信じること、宮﨑教士の教えをどれだけ体現できるかが鍵だと、気づくことができました。輝火塾の田上さんや宮本さんとは、何度も対戦しながらおお互い高め合いました。
 宮﨑教士との約束通り、道場生の指導を10年間継続しました。その間、大会に監督兼選手として出場する日々が続きました。牛深道場で週2回、麻生田道場で月2回のペースが6年ほど続きました。
 その後、苓北道場を開設し、週4回の指導と本部道場の月2回の講習会のペースが3年間続きました。多い週は6日稽古をしていました。指導員を取得するまで、「稽古を欠席・遅刻しない。大会には全て出場する」を守り続けました。指導員となってからは、選手として大会に参加することはありませんでしたが、これまで以上に考えて指導を行い、審判や講習会参加で学びました。
 そして、3代目宗家襲名前の直幸先生に、形・変手法・古武術を一年間継続して指導していただく機会をいただきました。多くの形について一つ一つの動きの意味を理解し体現すること、技の起こりをなるべく最小化し威力を最大化すること等を取り組みました。形を体系的に継続して学ぶことができたことで、理解が深まり、審判時も以前より自信を持って臨むことができるようになりました。
 また、この稽古を共にした拳誠館の松本師範と心浄館の古閑師範とは、お互いの理解を確かめ合ったり励まし合ったりしながら、厳しい稽古を乗り越えたという強い連帯感が生まれました。同時に、形・変手法・古武術の形や技の全てを理解し、左右逆にも体現でき、私達のどんな細かい質問にでもお答えいただいた3代目宗家襲名を控えられた直幸先生の造詣の深さに心底驚嘆いたしました。先生の懐の深さには「和忍」の具現化を感じ、本当に感謝しかありませんでした。


(前列、角本・古閑・松本師範)

 【会の発展と人材育成を共に】
 2021年師範の称号をいただきました。それからは、これまで以上に千唐流の大会運営について責任を持って取り組まなければならないという自覚が芽生えました。
 組手や形の講習会、各種大会では、選手ファーストを心がけ、選手が損をしないような公正平等な審判や学びの多い講習会、スピーディーな運営に努めています。
 その後、公立学校の管理職となり、多忙さが一段と増しました。また、今年の1月からは両親の介護が必要となり、天草から熊本の病院への面談等、急な対応を迫られることが起きています。公私とも多忙を極めている現況では、残念ながらこれまでのような道場指導、審判や運営等の大会参加ができなくなりました。空手ができるのは家庭や仕事が順調に回っている時だけだなとつくづく感じています。
 これからも、時間が許す限り、講習会への参加、審判や大会運営での大会参加を行っていこうと思います。個人的には、自宅での形と古武術の稽古、日本千唐会会議へのオンライン参加を行っています。自分を向上させていただいた千唐流へのお礼として、できる形で会の発展に貢献いたします。
 選手のみなさんには、自分の年齢や健康状態にあった目標を設定・調整しながら、安全に楽しく取り組んで欲しいと思います。競い合うことは励みになりますので、モチベーションを高めるためにも有効だと思います。
 また、師範の先生方や保護者の皆様には、千唐流空手道の稽古を通して、「礼儀作法や思いやり等の武士道精神」、「努力は必ず実る、力必達」を日常化できる人材を、これからも共に育成していただければと思います。


(2023宗家杯世界大会・Fコート審判長を務める)