朝晩がだいぶ涼しくなって来ましたね。猛暑もそろそろ終わりかな?
 今月の月刊モノローグは心浄館の宮崎先生に自身の空手人生を語って頂きました!

「千唐流空手道と私」

 まずもって、私ごとではありますが、自己紹介の紙面をお借りすることが出来たことに対しまして、感謝申し上げます。
 当道場(心浄館)は、熊本市から国道3号線を鹿児島方面へ車で約1時間の宇城市と八代市の間の氷川町にあります。
 遡りますが、私が空手を始めたのは、社会人(昭和48年、24歳)になってからです。
 それまで、空手に興味はあったのですが、当時は、今のように空手道場が、どこにでもあるような時代ではありませんでした。
 当時(昭和48年)、松橋町(現、宇城市松橋町)の国道3号線沿いにある松橋神社内に「全日本空手道連盟千唐会養徳館道場」という大きな看板が国道から見えるように設置されていました。
(以前から、神社の前を車で通る度に気になっていました。)
 てっきり、神社で誰か空手を教えているのかと思い神社に行き、神社の方に尋ねたら、神社は看板を置いてあるだけで、練習は松橋町公民館の隣の体育館でやっているようなので、尋ねてみてはと言われました。
 そして、体育館に行って、管理人の方に練習日を教えてもらい練習の日に見学に行きました。それが、私の恩師、三野田広徳先生との出会いの始まりです。

 先生は、松橋町から車で40分ぐらいの熊本市小島下町に住んでおられ、仕事(タクシー乗務)の傍ら非番の日に空手の指導に県南を数カ所回っておられました。
 当時は、先生の自宅の裏庭に養徳館本部道場(青空道場)、小島小学校「当時、熊本では小学校に空手部があったのは、小島小学校のみのようです。」、宇土道場(市内の施設を借りて)、宇土高校空手部、松橋道場と5カ所で、指導をされていました。後に、小川工業高校も空手部を創設し指導。

 そして、毎年3月上旬には、小島小学校空手道部6年生を送る演武会が、小学校の体育館で開催されていました。
 養徳館本部も、三野田先生自宅裏に、昭和59年3月、自費で建てられ25日に式典後、近くの料亭で落成記念のお祝いがあり、初代宗家先生もお見えになられ、道場生は、接待係として、来賓の方々にお酌をして廻りました。

 私も初代宗家先生の面前に行き、お酌をさせていただきました。
 宗家先生からいろいろと空手のお話を聞かせていただき、その時宗家先生は、「僕は100才まで、空手に頑張ろうと思っているんだ。」とおっしゃられた事が思い出されます。

 私は、勤務先(竜北町役場)から体育館までは、車で約20分かかりますので、勤務が終わってからそのまま練習場(体育館)に通いました。
 松橋道場は、会員が多くても4~5人程度で、大会には5道場の合同の養徳館道場合同チームで出場していました。
 三野田先生は、千唐会だけでなく、他の団体にも関係されていた関係上、他の流派、団体の大会にも出場させていただきました。

 又、熊本県千唐会員も当時は、今のように会員は多くなく、毎年の県大会は、各小学校の体育館の1コートで、各師範の所在地域持ち回りで実施されていました。

 昇級・昇段審査も今のような体系ではなく、初代宗家先生と二代目宗家先生のお二人で、各道場毎に直接審査に出向かれ、合格者には審査終了後、初代宗家直筆の免状をその場で交付されていました。


(昭和49年、北熊本自衛隊体育館での昇級昇段審査後の記念写真)

 又、養徳館道場では、例年、元旦の早朝から、金峰山(熊本市)の麓にある白糸の滝で、滝にうたれるのが空手の1年の始まりでした。

 空手着姿で先生の自宅道場より小学生から大人まで数十名で、1時間ばかりかけて、滝の麓まで駆け足での競争でした。  
 終わった後は、滝の麓で保護者の方々が持ち寄られたお雑煮を皆で頬張り、寒い中、大変美味しかったことを思い出します。
 私は自宅から三野田先生宅まで、車で1時間ぐらいかかるので、元旦の午前5時には起きて用意して出かけました。家内からは、「こんなに朝早くから起きてなぜ、我が家の正月のお祝いより空手が優先か」と怒られることもありましたが、その後はあきらめて、何も言わなくなりました。

 その後、私の職場の同僚から、子供に習わせたいと話があり、私の町で養徳館竜北支部として、町の公民館で、近くの子供達を指導するようになりました。
 その間、平成8年までの22年間、自分でも指導しながら、三野田先生のもと、先生からも指導を受けてきましたが、「独立して地域の子供達に空手を教えて欲しい」と提言され、同年、心浄館道場という道場名を命名していただき(今の道場旗もその時、先生よりいただいた旗です。)現在に至っています。

 (※その三野田先生も平成23年8月に亡くなられました。出棺の際、門下生だった人達が、空手着姿で、正拳突きのかけ声で、見送っていたことが今でも瞼に残っています。)

 先生も竹を割ったような性格で、私たち門下生には優しく、私がこれまで空手を続けることが出来たのも三野田先生のおかげと感謝し、今でも尊敬しています。
 千唐流空手道をこれまで修行してきたおかげで、別れもありましたが、いろんな方々と知り合うことが出来ました。このことから千唐流空手道は、単に形・組手の技量を求め稽古し、競い合うだけでなく、各先生方や道場生及び保護者の方々等、幅広い年齢層や職業、地域の方々と交流する事から、社会学習の場ではないか思っています。
 ただ、昨今、私たちが空手を習い始めた時代と社会の環境「家庭、学校、地域社会」が時代の流れにより、言葉では上手く表現出来ませんが、何処か違ってきているように感じます。それに伴い子供達に対しての指導方法も難しくなっているように思います。

 しかし、千唐流空手道を通して、少しでも地域の子供達が社会に出ても立派に通用出来るような人格形成を目指して、微々たる事かもしれませんが、役立つことが出来ればと・・・しかし、最近は、年をとり思う様に身体も動かなくなりましたが・・・😓😓😓三野田先生からいただいた心浄館道場を後継者に継承出来るまで、老体にむち打って何とか自己満足しながら続けています。

            心浄館道場   宮崎直美