千唐流コラムも第3弾となりました。今年度から日本千唐会の会長になられた拳誠館館長・小山浩一先生が自身の空手修行を生い立ちと共にお話していただいてます。継続は力なり、小山先生の体験談、必見です!

 諸先輩方を差し置き誠に僭越ではございますが、2024年度から3年間、日本千唐会の会長職を拝命いたしました。至らない点ばかりと存じますので、皆さまのご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。

1.空手との出会い
 ハッキリとは覚えていませんが、私は6歳頃から父(故誠二)の指導のもとで空手を始めました。当初は自宅で父の指導を受けておりましたが、小学1年生になって稲塚先生の道場(拳玉館)に父と一緒に通うようになりました。
 稲塚先生の道場は、私の自宅から車で10分ほどの温泉街の近くのお寺で、小高い丘の上にありました。当時の私には険しい山道の頂上にあるように感じられ、そこへの往来だけで相応なトレーニングになっていたと思われます。
 稽古は、季節に関係なく土の地面で裸足、雨が降ったときだけはお寺の中で行われました。 特に冬場の稽古はとにかく足が冷たかった。中でも一番の記憶は、正月に行われていた初稽古です。道場から2km弱離れた神社に移動して、お祓いをうけ、石畳の境内で形の演武などをおこなっていました。信じられないと思いますが、道場から神社までの移動は、空手着姿で、裸足でランニングでした。道路にはガラスの破片などケガに繋がる危険なものもありますので、かなり無茶なことをしていたなと思います。
 今となっては真冬に裸足でランニングは流石にいたしませんが、私の道場は毎年元旦に神社参拝、裸足で初稽古を奉納しております。(稽古前に竹ほうきで地面を掃いて危険を極力なくしていますのでご安心を。)真冬に屋外で、裸足で、というのはなかなかキツイものがあります。

2.自宅に道場
 私が小学2年生頃に、父がどこかの古い建物を自宅の敷地内に移築して、拳誠館道場を建てました。その頃父は小学校の教師をしており、学校でも空手に興味を持った生徒たちに教えていました。その生徒たちの数人が道場に来るようになり、また、ブルース・リーやジャッキー・チェンに憧れて空手を始める大人もいて、ピーク時には50人近く生徒がいたのではないかと思います。
 道場の周りは田んぼで、夏に日が暮れると蚊、蛾、カナブン、コガネムシの襲来に加えて、カエルの大合唱で賑やかです。道場に虫が入ってくるのは嫌なので、窓は締め切りたい(網戸ではどこからともなく虫が入ってくる‼)、しかしそれだと暑すぎます。
 近年、夏は猛烈に暑いですよね。父は定年退職を機に道場を建て替えましたが、道場の壁、屋根は金属素材(いわゆるプレハブ)で断熱性が乏しく、昼間に灼熱の太陽にさらされると室温は40℃を超えることも珍しくはありません。
 そこで、熱中症対策、集中力維持のため、思い切って数年前にエアコンを設置しました。ガンガン冷えることはありませんが、少しは快適な環境で稽古ができております。私財を投じて道
場を造った父には感謝しております。

3.道場継承
 小さい頃から、空手の先輩として後輩に教えることを父から命じられていたので、父が亡くなった時にもごく自然な形で道場を引き継ぎました。
 私には3人の子供(1男2女)がいますが、それぞれ5・6歳くらいから空手をやらせました。その頃の指導は今よりも一層熱が入っていたと思います。
 今になって想い返せば、私が小学生の頃の父はまさにスパルタ熱血指導で、泣かされたことの無い生徒は殆どいませんでした。
 昨今は、コンプライアンス、ハラスメントなどがより重要視されてきていますので、時代の流れに沿って指導方法も変えざるを得なくなってきたと感じております。指導者の先生方の中にも悩まされている人もいるのではないでしょうか?私は、時には厳しい指導をしないとピリピリした緊張感もなく、ただ漫然と言われたようにやるだけになりがちで、それではこちらが期待する成長曲線は緩やかにしか描けないと思っています。
 元来、武道は苦行に耐えることも修行の重要な意義であるとも考えます。単に楽しいことばかりでは、将来訪れるかもしれない危機を乗り越えられるのだろうかと心配になります。
 厳しさ、楽しさのバランスをどのように取っていくのか、これからの指導者はますます考えさせられます。

4.空手から距離を置いたことも
 空手歴としては50年を超えてしまいましたが、常に空手が人生の一番であったわけではありません。今までに何度も辞めたいと思いましたし、実際に距離を置いた時期もありました。 高校受験、大学受験、就職(最初の勤務地は宇都宮)を理由に、道場に顔を出さない期間がありました。
 なぜそうなったのか。小学校から高校までは個人形で優勝を逃したことは無かったけれど大人になってからは2位が限界でしたし、個人組手は中学時代の3位が最高位でしたので限界を感じていたし、空手の稽古は辛いばかりで楽しくない、といったイメージを抱えていたからかもしれません。
 それでは、いかにして私がまた空手に携わるようになったのかというと、要因は2つだと思います。
 一つ目は、父が徐々に体を思うように動かせなくなってきたので、道場で指導を手伝うことが増えていったこと。
 もう一つは、第4回宗家杯で団体形の日本選抜メンバーに選ばれ、他の道場から選抜されたメンバーと月に数回、基本から見直し、技のタイミングや呼吸を合わせるために、二代目宗家の指導を受けながら一緒に稽古したことで、それまで限界だと決めつけていた自分にもまだまだやれるかもしれない、と感じることができたからでした。
 そして今は、千唐流の伝統を繋いでいくためにはどうしたらよいか、会員を増やすには・・・、皆さんのお知恵をお借りしながら取り組んで参る所存です。

5.宗家杯への想い
 最初に宗家杯に出場したのは、記憶が定かではありませんが第2回大会です。たしか高校生で一般個人形にエントリーしました。
 次は第3回カナダのバンクーバー大会で当時大学生でした。
 一般形のエントリーは100名を超え、予選、セミファイナル、ファイナルと3回演武しました。
 セミファイナルは上位通過できたので、自分自身に期待はしていましたが、世界はそんなに甘くない、結局メダルには届きませんでした。試合は残念な結果に終わりましたが、バンクーバー大会の運営、スタッフの皆さんのおもてなしは素晴らしく、とてもいい思い出となり、また参加できたらいいなという気持ちにもなりました。
 その後トロント大会、香港大会、ペンティクトン大会と海外で開催された宗家杯には選手として2度、審判員として2度参加しておりますが、過去オーストラリアで開催された2度の大会には、仕事の関係で都合がつかず参加できませんでした。
 したがって、次回のオーストラリア大会には是非とも参加したいと思っています。
 海外で開催される宗家杯に参加した選手、保護者、審判員の皆さんからは、凄くよかった、いい経験になったと大好評です。
 時間はまだあります。選手は技術を磨き、保護者、審判員には資金を確保いただき、ぜひ、皆で一緒にオーストラリアに行きましょう!