熊本では現在桜が満開。そんな新年度の投稿は武豊館副館長の坂口達也先生が師匠であり、お父上でもある坂口豊先生の逸話を記憶を辿りながら執筆して頂きました。
 古き良き時代、昭和の香り漂う内容は必読ですね!

 武豊館坂口達也(=T)です、今回父であり師匠の「九段教士坂口豊(=Y)」より聞いたこと(一部抜粋)を主としここに記します。
 ※(Y)からの口伝または私(T)が見たものを記しますが箇条書きとなります。
 坂口豊とは1936年佐賀県にて生誕、その3年後第二次世界大戦開戦。
 20歳の頃第八師団北熊本駐屯地に転属、そこで初代宗家千歳強直先生と出会い師事、その後我が家の自宅庭にて「養成館西合志支部」創設し「武豊館」と改名、その際宗家より【良い名前にしたね】と仰って頂いたそうです。

⚫(Y)曰く「俺が小さい時戦争んときは家が山の上だったろうが!冬は寒~中、日が暮れても
 冷ちゃー水で芋洗いばしよったぞ、戦争中だけん食い物は我が家で植えた芋しかなかっぞ」

⚫(Y)曰く「宗家が頭突きで五寸釘ばガンガン打ち込んでいかすとた~えじかったぞ」

⚫(Y)曰く「宗家が【坂口君ちょっと汚いが私の睾丸を握ってみなさい】て言わしたけん   握ったら○○んにゃーとた!たまがったぞ!!」

⚫(Y)曰く「第8師団稽古んとき沖縄から転属になった奴が相手の膝ば狙って壊したった!そ したら宗家が【君!そんなことしたらダメだぞ】と言わした。あとであいつは沖縄で○○流ば 習っとったって聞いた

⚫ (Y)曰く「他んとこの先生は宗家のことば『ゴウチョク(剛直)先生』と言ってたな

⚫ (Y)曰く「どっかの道場の先生が『君たちはどこの人間だね?』て聞かすけん千唐会て言 ったら『うわ~チネングゥワ先生んとこか!』て言わしてその先生が自分の道場生に『おい こことは喧嘩すんなよ!○○っぞ!』て言わし、あの当時はチネンガじゃなくチネングゥワて 言うもんな

⚫ (Y)曰く「今村君(故)も豪傑だったな~、今村君の試合ば見よったら足の親指がブラ~ ンブランしよる足で蹴りにいきよったけんな

⚫ (Y)曰く「確か今村君(故)も山元君と後楽園に行ったろ?そうそうそんときのスポーツ 新聞持って帰って来とったぞ」

⚫ 今村先生(故)が(T)に『オゥ父ちゃんどこや?、ハゲチャビンた!ハゲチャビン!』と
 お互いがハゲと言い合う仲でしたWW

⚫ 今村先生(故)が(T)に『俺たちん頃は二段蹴りしよったぞ!どんどんやれ」と指導頂き ました。今村先生!今日本は令和に変わり2025年の春です。

⚫ 我が家の庭で稽古をしてた時代は巻き藁3本立ってました、藁の所には「忍」と黒字で書か れた一斗缶でカバーがしてあり藁は○でベットリでした。そのような状況にした先輩方が『当 時は情報がないけん、皮が剥げようが酷くなろうがガンガンしよった』
  その後、須屋スポーツセンター開設により庭での稽古はしなくなりその巻き藁は犬の鎖を 巻く土台へとなりましたWW

⚫ (Y)曰く「第8師団当直で夜警しよっときた目の前に電柱(木製、裸電球に白い傘)があっ たけん肘打ち(猿臂)しよったら熱こもってきたけん、よりガンガン打ち込んだらポイント ずれて肘が腫れた!痛かったぞ。オイ達也!暗いとこじゃ無理すんなよ」。そのこと聞いて もちろんWW

⚫ (Y)曰く「昔た、団体組手の審判しよって○○空手部(大企業)の5人組の応援が酷かったっ た~『○○せ!』って 言うもんだけん おまえら何言いよっとか~て言って俺が失格!て言う たら後日そこの空手部監督から謝罪の手紙が来たな」

⚫ (Y)曰く「大洋デパートの演武、懐かしいな」(現cocosa)

⚫ (T)が未就学児の頃(Y)が「オイ達也今から宗家の所に行くけどお前も行くか?に対し『行 く』」と返事。
  その時代の養成館道場は相撲部屋のような作りであったような薄い記憶があります。そこで 宗家は羽織袴、黒いソファーに座られて私に【ボク!お菓子食べなさい】と仰ってポテトチ ップスを出して頂いたと思います,ただその場の異様な雰囲気に飲み込まれまた、父(当時県 本部長)の緊張が伝わり私も緊張により食することが出来ず幼少な私にもひしひしと伝わる オーラに包まれたのを体験しました、
  凄かったな~。後々考えたら父は私を緩衝材として連れて行ったなと確信しました、コノ ヤロー。

⚫ (Y)曰く「昔た、北熊本チームの団体戦先鋒、まぁ特攻隊長みたいなもんた!ここの勝  敗が結果を左右されるポジションに桑釣ってのがおってこいつが強かったな!その後、銃剣 道も強かったけん
  それで東京のほうに引っ張られたった、今なんしよるかな?。そういえばこの桑釣君から 帯を貰ったな。」
  第8師団稽古にて「つこかして顔ば踏め」とご指導頂いた武豊館OBと(T)より、「桑釣大 先輩へ、押忍!
  お元気にしておられますでしょうか?(Y)は頑張っております。(Y)の妻(2023年他界)か らは「桑釣さんはスラッとしててスマートな方だったよ!」と聞いております。

⚫ 武豊館OBが第八師団に稽古に行ってたときに桑釣さんより伝授された技が
  『相手をつこかしたら必ず顔踏め!』だそうです。(T)もこのOBから何度踏まれ鼻血ブゥし たことやら

⚫ (Y)曰く「Aが第8師団を辞めるとき俺が当直しとったらAから電話かかってきて『豊ちゃ ん!今から道場で試合ばせんね』オゥよかばい!て言って道着持って道場に行ったらAの右  腕、左腕の○○もおったけんなんやこいつらはて思ってコテンパンにやってやったらAが『そ  のへんで止めて俺とやろう』て言うたけんやったら最後の最後にAのカニ挟みでこかされて終 了た!
  あ~悔しゅうて悔しゅうて今でも忘れきらん

⚫ (Y)曰く「第8師団の稽古終わりに空手着のままたまに新市街に行きよったぞ!何故かは 察知せ~よ」

⚫ (Y)曰く「初代宗家の葬儀のとき山元君がうちに泊まったの覚えとるか?」

⚫ (Y)曰く「俺は体のこまかろうがだけん試合はねちっこくしよった。前蹴りが得意なヤツ は交差受けで相手にダメージ与えて蹴りが使えんようにしよった。(T)さすがは沖縄空手ね。

⚫ 武豊館OB曰く「組手で最初にすべきことは4つの武器を壊すこと(両腕、両足)」

⚫ 2025年2月談として(T)が(Y)に『第8師団の稽古で宗家は形は特になにを練習されてた と?』
 「サンシール、クーサンクー、・・ナイハンチをしてたぞ」

⚫ 2025年2月談として(Y)が(T)に「千唐流宗家は世界一の先生だけんお前たちも自信もって やれ」。押忍

⚫ 武豊館OB曰く「昭和56年ぐらいまでは○○○も千唐会の試合にでよったぞ、でも打突が弱 かったけん1本にはならんだった」

⚫ 2010年ぐらいに武豊館に○○高校空手道部監督が来館されたとき(Y)が監督に「君は何が最 大の攻撃なり!か知っとるか?」を聞いたときに監督と(T)は『攻撃は最大の防御なりの言い 間違えかな?』と思っていてとりあえず監督が『攻撃・・・防御なりですか?』とそのよう に伝えたら(Y)が「違うた~い!防御は最大の攻撃なり!たい」と言われましたそのときはた だの間違えと思いましたが今では解ります、(Y)は沖縄
  空手=千唐流宗家から教わったことを言ってただけなのです